玉木代表の不倫報道のついて、何かがおかしいと感じる・・・・・

ここに、国民のことを第一に考えて行動している政治家がいます。しかし、富裕層や権力者にとっては邪魔な存在であるため、彼らはその政治家の女性問題をメディアで報道し、失脚させようとしています。メディアが取り上げた報道により、一部の国民は彼を非難していますが、それは本当に正しい判断でしょうか?

もちろん、不倫は配偶者を傷つける行為であり、倫理観に反する行動かもしれません。しかし、不倫された側や当事者同士が話し合いで解決済みであれば、直接関係のない一般の人々が口出しするべき問題ではありません。なぜなら、当人同士で解決が済んでいる以上、それ以上の批判は不必要であるからです。

許せないと感じるかどうかは、その人の価値観や判断基準によります。多様な価値観が存在する中で、当事者でない人々の価値観によって、他の大勢の人々の生活を良くしようと尽力している政治家を潰すことがあってはならないのです。

この世には、政治家や医師、人間国宝などさまざまな役割を持つ人がいますが、私たちが彼らに求めるべきものは「本来の役割を果たすこと」ではないでしょうか。浮気やスキャンダルが報じられるたびに、その人が成し遂げた本来の業績や才能が無視され、社会から抹殺されるような状況が続いていると、やがて私たちは医師や政治家、偉人さえも失ってしまうかもしれません。

例えば、ある医師が私生活で問題を起こし、そのせいで医師免許を剥奪されるような状況を想像してください。その医師が大切な人の命を救える唯一の存在であった場合、彼がいなければその命は救えないのです。もしその医師が不倫していることが問題にされ、医療行為が妨げられるとしたら、それは本当に私たちが望む結果なのでしょうか?その人の役割を評価する基準が、政治家だから許さない、医師だから許す、といった偏った基準で良いのでしょうか。

メディアは大衆の感情を揺動させる力を持っています。その影響力によって、多くの人は自らの判断を見失い、「多数派に属したい」という思いから真実にたどり着けなくなってしまいます。一部の富裕層や権力者が、自分たちにとって都合の良いときに「陰謀論」や「スキャンダル」という言葉を利用し、私たちを操作しているかもしれません。

私たちは、こうした操作に流されることなく、何が正しいか、何が本当に大切なのかを自分で見極める力を持つべきです。真の賢さとは、偏差値ではなく、世の仕組みに気づき、騙されてきた事実を受け止め、それをこれからの人生に活かせる人こそが持つものではないでしょうか。

江戸時代の武士たちは「命ある今、その命を誰のためにどう使うか」をしっかりと理解し、それを実践していたと言います。私たちも、私たちの生活に直接関係のない問題であっても、それが自分や大切な人の未来にどう影響するかを考えるべきです。今、この世の中で「おかしい」と感じることができる人こそが、次に来る正しい世の先導者となるでしょう。

お天道様は全てを見ています。最終的に、私たちが真の勝者としてこの人生のゲームを終えられるかどうかが問われています。

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